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ネットスーパー、宅配サービスの潮流

こんにちは。

表題にもある『ネットスーパー、宅配サービスの潮流』について簡単に思うことをまとめてみます。


昨今、イオン、セブン&アイホールディングス(セブンイレブン)といった大手スーパー、コンビニ各社が、高齢者等をターゲットした宅配事業に力を入れ始め、いよいよ都市部での展開も兆しが見えています。


足腰が悪く、遠くのスーパーまで歩くことのできない高齢者や、昼間仕事が忙しく、なかなか食材を購入して料理する時間の無い方にとっては、家に居ながらにして料理にありつけたり、買い物ができてしまうのですからとても便利なシステムです。


これら宅配サービスについては、多くの企業が参入しており、今や、食材や弁当に限らず、飲料から日用品まで、ありとあらゆるものが家に居ながら、お金さえあれば手に入れることのできる時代になりました。


また、インターネットを利用する方にとっては、facebookやmixyといったSNSの発展により、好きな時間に好きな方とweb上でつながり、飽きたらログアウトして自分だけの時間を楽しむという、希薄な人間関係ならば家に居ながらにして容易に手に入れることが出来るようになりました。


つまり、他者とオフラインでつながることがなくとも、一定の日常生活については、webをメインとしたオンラインサービスを利用することで完結してしまう時代になったのです。


ただし、この傾向が今後強まるならば、近隣とのつながりづくりは面倒くさく、必要のないものと位置づけられ、地域の商店街なども存在意義がなくなり、今まで以上に加速度的に減少していくでしょう。


人は楽なサービスを享受すると、より楽なものを求めますし、企業もそのニーズに合わせて開発します。
戦後の日本社会が、経済成長の代償に失ってきたものが、ネットスーパー・宅配サービスの潮流によって壊滅的なダメージを受けることになるというのが、今の時点での私の仮説です。


さあ、そろそろ手立てを考えないと、今よりも大幅に人口が減少した30年後には、虫食いの空家だらけの、人通りの少ないゴーストタウンが日本の各地に現れてしまいますよ。
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by cobolabo | 2012-10-05 15:16 | つれづれ

地域の魅力とは?


みなさんこんにちは。

今日は、『地域の魅力とは何か?』について、いま私が考えていることを書きたいと思います。


結論から申し上げますと、ズバリ『人』です。


地域には、魅力的なお土産、物産を扱う店、歴史ある建築物等がありますが、それ以上に魅力的なものは『人』ではないでしょうか?
そして、その人が知る町の歴史、その人のこれまでの経験による知識、ついてはそれを通じた他者とのコミュニケーション、これが何よりも重要な地域資源の様な気がします。

いくら素敵な店や商品があろうとも、それを伝える魅力的な人がいなければ、伝わるはずの魅力も半減してしまいます。


私の見立てでは、この『地域人』を発見してその魅力をどう伝えるか?
その結果として、地域資源や風土の魅力を、地域外の人々が水の波紋のように伝播して知っていくだろう、今は、何故かそんな根拠のない自信を持っています。


こちらについては、今後の練馬区等の地域活動の中で、少しずつ検証していきたいと思っています。
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by cobolabo | 2012-09-20 08:56 | つれづれ

秀逸であるということ


こんにちは。

最近、『デフレの正体』『第四の消費』以来、久しぶりに秀逸な書籍に出会ったので紹介します。

『世界を変える偉大なNPOの条件』

です。http://www.diamond.co.jp/book/9784478007280.html

組織を大規模化して収益をあげるのではなく、本当の意味で社会を最適化し、影響力を発揮するとはどういうことか?

この定量化しにくい暗黙知を、これまでの公益法人の評価軸を超えたところで分析しています。
少し厚さはありますが、リターンの大きさを考えると非常に安い買い物と思います。

お時間&気持ちに余裕がある時にでもゆっくりとご一読を♪
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by cobolabo | 2012-08-30 08:38 | つれづれ

帰省♪


みなさんこんにちは。

先日まで、故郷の会津若松に帰っていました。
会津も東京と変わらずとても暑い日々でしたが、朝晩はすごしやすい気候で、はやくも秋の気配が漂っていました。

今回は、かねてから行きたいと思っていた、喜多方の長床へ♪

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こちらは、平安末期から鎌倉初期に建立されたと言われる国の重要文化財だそうです。
直径45cmの44本の円柱が5列に等間隔に並ぶ構成になっています。

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また、空間には壁や建具は一切なく、荘厳な雰囲気と、周囲と隔絶された空気感が漂います♪

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また、長床の傍らには樹齢800年の大イチョウがそびえたちます。
支柱などの支えもなく、この空に伸びる様が圧巻です。

束の間でしたが、充実した夏の休暇を満喫したひと時でした。


追記:ここからは会津・喜多方地域のラーメンです。(しっかりと食べ歩いて参りました。笑)

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まずはこちら、会津若松市:きむらや

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こちらは会津下郷:星六

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最後は喜多方:あべ食堂

どれも純粋な醤油ベースのラーメンでしたが、各店ごとに微妙な差があり、とても奥が深いのです。
たかがラーメン、されどラーメン♪
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by cobolabo | 2012-08-18 20:41 | つれづれ

念願


こんにちは。
段々とセミの鳴き声が聞こえてきて、真夏の足音がもうすぐそこまで来ていますね。

さて、今日は『念願』ということでこちらです!!


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そうなんです。陶芸です。



これは、今年の5月に伊豆に旅行に行ったときに、現地の陶芸体験で作ったものです。
我ながら素晴らしい出来栄え♪(現地でも腕が良いと誉められました。笑)

作っている時間はすごく集中でき、陶芸の作業自体も本当に楽しいのです。


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こちらのアングルもいいですね~。

また表面の焼き目が何ともいえず、たまらないです。。
妻の作品もありますが、まあ、それは今回はお見せしなくていいでしょう。笑


次はこれまた念願のそば打ちをどこで実現するかですね~♪
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by cobolabo | 2012-07-24 11:15 | つれづれ

最近思うこと

こんにちは。

先日、福井県の大飯原発の再稼働が概ね決定されました。
この議論については、政府の首相含めた4閣僚主導のもと、非常に閉鎖的な状態で進められてきました。私はこの結果について、残念というよりも判然としない思いがとても強いのです。


この再稼働問題については、『原発の安全性が担保できないならば再稼働反対』という主張と、『関西地域の夏の電力需給に問題が生じる、ついては、国の経済活動に甚大な被害が生じるため、再稼働賛成』という主張との対立構図のもと、永く短い議論の結果、再稼働という結論がなされたのです。


そもそも、国や地方の経済成長と国民の生命とを天秤にかけ、尊さを争うことができるものなのでしょうか?
この議論については、よく卵が先か、鶏が先かという、経済と安全性とを戦わせる意見もみられますが、答えは誰の目にも明らかです。
『安全性、国民の命がより尊い』ということです。


では、そんなに危険な原発はすぐにでも全てを廃炉として、未来の素晴らしいクリーンエネルギーを導入すれば良いのか?

そんなことはできるはずもありませんし、現実的ではありません。
ただ、仮に福島レベルの事態が他地域で発生した場合、原発立地の県に留まらない周辺広域が、その先数十年に渡って生活できる土地ではなくなることは起こり得ますし、最悪の場合、国の機能が完全に麻痺する恐れさえもあるというのが、我々が福島の事故から得た原発の怖さでもあり教訓でもあるのです。


それならばいま、国として大事な思考というのは、福島の事故(あえて人災と想定して)を教訓として、

経済活動、地方の雇用問題、諸外国との関係性等、様々な条件を加味して、やみくもに原発を廃止できない

状況に対して、

どうすれば将来的に安全性を確保したエネルギー供給を段階的に進めていくことができるか?そのために、経済的ロスを最小限にしながら進める手法は何か?


ということを、全市民的に知恵出しをしてオープンに議論をしていくことではないでしょうか。


よく、国の政治の特徴を語る際に、中国やロシアは、昔から政治とその取り巻きとの癒着の色が強いと言われます。私は、この特徴は日本も勝るとも劣らないと考えています。一方で、その島国的ムラ社会のなかで、戦後の急激な経済成長を遂げてきたのも事実ですし、それが日本社会の強みでもあったわけではあります。


ただ、もうこの構図で国が成長できる段階ではありません。
この構図に配慮し、限られたメンバーで閉鎖的に議論を進めて、50年先の国の将来を拙速に決めてしまうのは、まさしく『泥縄的』な進め方です。もし、できないのならば、少なくとも現状で国民の信を問い、信頼を受けた政府、政治家が進めるべきことです。
(こう言いながらも、これほど空しい意見はないのですが。)


私は現在、この国の政治やそれを報じるメディアに、とても判然としない気持ちを持っています。
そして、この国民として当たり前な主張をする私は、決して原理主義者ではありません。
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by cobolabo | 2012-06-20 09:57 | つれづれ

まちとの関わり方


こんにちは。

東京も少しずつ梅雨の気候を感じ始める今日この頃ですね。

さて、今日はまちとの関わり方について考えてみたいです。
私個人は、これまでいくつかの地域活動に参加させていただくなかで、大きく気付いたことが
あります。

それは、『地域で活動するということは、多様な関係者との関係性無しには語ることはできない
ということです。
一見あたりまえに思えることですが、なかなか実現できていないことが多いです。


それでは、地域には具体的にどういった主体がいるのか、ダイアグラムで示しますと、

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こういうことですね。
つまり、行政、住民をはじめとして、商店街やJAなどの組織、また、最近ではNPOなど、多くの個人、組織が主体として考えられます。

これら多様な主体の関係性は、このダイアグラムが示すような、行政を中心に各主体がバランス良い力関係で協働することが本来望ましいですし、これまでの日本社会では、この関係で上手く地域づくりを進めてくることが出来たという『幻想』に浸ってきました。


しかしながら、私個人がこれまでいくつかの地域で活動させていただく中で感じたものは以下のような関係性です。

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つまり、地域でのパワーバランスは必ずしも均一ではなく、関係性に歪みが生じています。


戦後の復興から高度成長期を経るに従ってつくられたこの関係性の歪みを強制して整理することは容易ではありませんが、ここを直さなければ健全なまちの将来を望めないのも事実です。


地域活動をするに当って、ある主体が、単なる自己実現やパフォーマンスのために振舞うことはもってのほかです。


自分の中で望ましいと思える地域の将来を描きながらも、地域の各主体の方とやりとりをし、現場の声に耳を傾け、決して上目線ではなく横目線で地域に寄り添い、地域や現場が本当に何を求めているのか?何を望ましいと思っているのか?
そして、そのために障害となっていることは何なのか?

この意識をもって地域と付き合っていくのが良いのではないでしょうか。
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by cobolabo | 2012-06-06 13:21 | つれづれ

『地域』を再定義してみるということ(後篇)

さて、『地域』について再定義してみるということ、後篇です。


全回の話で、近代的都市計画手法(堅い言い回しですが、要はこれまでの従来型まちづくりです。)では、もはやハード・ソフト両面で限界が来ているというところからです。

繰り返しになりますが、これは全国で起こっている中心市街地とスプロール現象の関係、再開発計画の失敗、郊外のゴーストタウン化、買い物弱者問題等、事例を上げれば枚挙に暇がありません。


そこで、どうすればよいのか。


【前提条件(私見)】
この先概ね10年後には65歳以上の人口比率が25%を超えるという、高齢化社会がいよいよ実現します。

となると、システムの中心を社会的弱者の高齢者に比重を置かざるを得ないでしょう。
高齢者にとって住みやすいまち、しくみがそれ以外の世代の人間にとって住みにくいということはないと考えるからです。


ですので、

①これまでの区、市の範囲内に、半径500m~1000m程度の『地域』範囲を設ける。
概ね高齢者の徒歩を前提とした、活動範囲の限界をもとに設定しています。

②この範囲内で、自治(町会レベルで良い)、福祉、商業、子育て、教育、アメニティ、防災等をテーマにしてサービスを設ける。
※ここで重要なのは、ハード施設は極力既存の立地・物を前提とするということ。

③②であげたサービスを設けるということは、必ずしも『地域』範囲で完結させる必要はない。
地域内で完結できていないという現実を認識することが重要。
⇒つまり、足りないサービスは隣接する『地域』もしくは市や区全体で補填する考え方。


これら各『地域』がサテライトとして連鎖して、演繹的に全体として市や区というこれまでの行政範囲を形成するイメージです。

ただ、このイメージを実現するには既存の行政のみでは確実に手が足りませんので、NPOや任意団体が担い手となるでしょう


まだまだ荒削りなイメージですが、世界でも先駆け的な日本の高齢化社会をイメージするに当っては、このくらいドラスティックな計画見直しをしない限り、新たなしくみを作ることはなかなか難しいでしょう。

繰り返し強調しますが、新たにハード整備をするのではなく、中心はソフト、仕組みのデザインということです。 

これまでの様なハードとしての中心市街地はなくなります。(こちらも繰り返しになりますが、すでに既存の中心市街地はまちの中心ではないという前提です。)

私は地域活性化やまちづくりに関わる際は、この視点をもって望みたいですね。
それではまた!
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by cobolabo | 2012-05-31 11:06 | つれづれ

『地域』を再定義してみるということ(前篇)

こんにちは。

東京のまちも桜が散り、いよいよ新緑が芽生えてきました。新たな生命の息吹を感じる今日この頃です。


さて、先日、まちが元気になるということ、というテーマで、既存の中心市街地を活性化させるということについてつらつらと書かせていただきましたが、今回は、『そもそも既存の中心市街地がまちの中心足り得ていない』ということへの踏み込んだ話をしたいと思います。


ここで改めて、私が言う『既存の~足り得ていない』ということを再確認してみたいと思います。


まずはじめに、小売業の事業数の推移について。中小企業総合研究機構が発表している『商店街活性化のためのマネジメントに関する調査研究報告書』によりますと、昭和57年の172万1千店をピークに、この25年ほどでその約34%がなくなっているということです。各地の中心市街地に特化した推移ではありませんが、全体として大きな減少傾向にあるということは確認できます。また、各地の商店街がシャッター街化していることは、ここで再度申し上げる必要もないでしょう。


次に、歩行者交通量について山梨県甲府市の中心市街地歩行者交通量調査を例に見てみると、平成4年度の日曜日歩行者合計数12万人に対して、平成19年では6万人弱にまで落ち込んでいます。あくまでひとつのまちの事例ではありますが、概ねこの傾向は全国の商店街に言えることではないでしょうか。


さらには、日本の高度成長と社会のモータリゼーション化、それに伴う居住機能・都市機能移転(病院・行政・教育機関等)といった郊外化の位置づけについては、もはや事例を出すまでもなく、中心市街地から元気がなくなった原因のいくつかであることは、すでに社会の共通認識になっています。


一方、戦後日本では都市を創造する際、既存のまちをベースにせずに、新たに再開発や宅地整備を行い、各地にニュータウンや大規模団地をつくってきました。
これらの構造は、上下水道や道路、電気配線等生活インフラを新規に整備して、街区の中心にタウンセンターや商店街を形成し、周辺に居住機能や教育機関、公園等を配置するというものです。その規模たるや十数haに及び、いち事業がひとつのまちづくりと同様なのです。

そして、その計画は、近代的都市計画手法として名高い『近隣住区理論』をもとにして推進されてきたのです。


ただそれも、現状の郊外大規模団地やニュータウンの高齢化やゴーストタウン化を見るならば、長期的視野での計画という意味では、完全に失敗だったと言わざるをえません。これもある意味で新規で作った中心市街地がまちの中心足り得ていないことの事例かもしれません。


これらを総合して考えますと、既存の中心市街地については商業店舗数と床売上げ、歩行者・自転車交通量、都市機能、景観、そして市民意識といった、定量化できるものから出来ないものまで、様々な要素のレベルでもはや『中心』の体をなしていないということなのです。

私が、国が未だに『中心市街地活性化』と声高に叫んでいることに違和感を抱いているのは、こういった前提があるからなのです。


ただ、一方で既存の商店街は、昔から地域の顔であり、町内のお祭りや自治活動の拠点でありましたし、それに伴う歴史や文化、伝統というものが深く刻まれています。
表面的な意識レベルではすでにまちの中心でない既存の商店街も、住民の深層の意識レベルではまだまだ子供の頃の原風景として深く記憶に刻まれています。


また、商店街によっては、素晴らしいリーダーとアイデアによって活性化に成功した事例もあります。


しかしながら、今後の社会を長期的視野でとらえるならば、既存のまちのシステム自体が成り立たなくなることは明白なのです。


まあ、そこについては、これまでの話を前提条件としたうえで、今後の地域社会をどう考えていくべきか?
つまり、我々が日常生活する上での今後の『地域』とは何か?どういった範囲とすべきなのか?ということを再定義したいと思います。


それをなくして、行政レベルでまちづくりや地域づくりの源となる『総合計画』や『都市マスタープラン』づくりをしても、絵に描いた餅になってしまうでしょう。



引き続き次回は、近代的都市計画手法に限界をみる新たな『地域』の定義について個人的な考えをコメントしたいと思います。
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by cobolabo | 2012-04-18 10:40 | つれづれ

『C世代』について

こんにちは。

最近目にした記事で興味深いものがありましたのであげます。『C世代について』
お世話になっているNPO法人ETICさんやNPO法人農家のこせがれネットワークさんも載っています。詳細は以下↓↓↓


is.gd/kYYtjv


もはや高度成長期の既存の価値観で社会を見てはいけません。
大きな社会課題や問題に対して新しい価値観と視野を持った解決策を講じなければ、社会がより良い次のステージにたどりつくことはできません。

我々世代がその牽引役となることができれば本望です。





【C世代:記事から引用】

 「ジェネレーションC(C世代)」はここ数年、米国で使われ始めた言葉。Cはコンピューター(Computer)、つながり(Connected)、コミュニティー(Community)、変化(Change)、創造(Create)などを意味する。協力(Collaboration)や貢献(Contribute)を含む場合もある。


 基本的には若者を指しており、米国では10代、20代を想定する。ただ、本紙連載「C世代 駆ける」では、右肩上がりの成長を知らず、自ら立ち上がる40歳前後の人たちも描いている。
 C世代が生まれた背景には、インターネットと携帯情報端末の急速な普及で、同じ価値観や使命感を抱く人々が自由につながるようになったことがある。思いを共有する「ソーシャル」な感覚が、独裁政権の打倒や政府への抗議デモ、社会的起業など、世界の変化の波頭にもつながっている
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by cobolabo | 2012-04-08 09:54 | つれづれ