最近思うこと

こんにちは。

先日、福井県の大飯原発の再稼働が概ね決定されました。
この議論については、政府の首相含めた4閣僚主導のもと、非常に閉鎖的な状態で進められてきました。私はこの結果について、残念というよりも判然としない思いがとても強いのです。


この再稼働問題については、『原発の安全性が担保できないならば再稼働反対』という主張と、『関西地域の夏の電力需給に問題が生じる、ついては、国の経済活動に甚大な被害が生じるため、再稼働賛成』という主張との対立構図のもと、永く短い議論の結果、再稼働という結論がなされたのです。


そもそも、国や地方の経済成長と国民の生命とを天秤にかけ、尊さを争うことができるものなのでしょうか?
この議論については、よく卵が先か、鶏が先かという、経済と安全性とを戦わせる意見もみられますが、答えは誰の目にも明らかです。
『安全性、国民の命がより尊い』ということです。


では、そんなに危険な原発はすぐにでも全てを廃炉として、未来の素晴らしいクリーンエネルギーを導入すれば良いのか?

そんなことはできるはずもありませんし、現実的ではありません。
ただ、仮に福島レベルの事態が他地域で発生した場合、原発立地の県に留まらない周辺広域が、その先数十年に渡って生活できる土地ではなくなることは起こり得ますし、最悪の場合、国の機能が完全に麻痺する恐れさえもあるというのが、我々が福島の事故から得た原発の怖さでもあり教訓でもあるのです。


それならばいま、国として大事な思考というのは、福島の事故(あえて人災と想定して)を教訓として、

経済活動、地方の雇用問題、諸外国との関係性等、様々な条件を加味して、やみくもに原発を廃止できない

状況に対して、

どうすれば将来的に安全性を確保したエネルギー供給を段階的に進めていくことができるか?そのために、経済的ロスを最小限にしながら進める手法は何か?


ということを、全市民的に知恵出しをしてオープンに議論をしていくことではないでしょうか。


よく、国の政治の特徴を語る際に、中国やロシアは、昔から政治とその取り巻きとの癒着の色が強いと言われます。私は、この特徴は日本も勝るとも劣らないと考えています。一方で、その島国的ムラ社会のなかで、戦後の急激な経済成長を遂げてきたのも事実ですし、それが日本社会の強みでもあったわけではあります。


ただ、もうこの構図で国が成長できる段階ではありません。
この構図に配慮し、限られたメンバーで閉鎖的に議論を進めて、50年先の国の将来を拙速に決めてしまうのは、まさしく『泥縄的』な進め方です。もし、できないのならば、少なくとも現状で国民の信を問い、信頼を受けた政府、政治家が進めるべきことです。
(こう言いながらも、これほど空しい意見はないのですが。)


私は現在、この国の政治やそれを報じるメディアに、とても判然としない気持ちを持っています。
そして、この国民として当たり前な主張をする私は、決して原理主義者ではありません。
[PR]

by cobolabo | 2012-06-20 09:57 | つれづれ